2012年7月26日木曜日

安岡正篤 人間学

神渡良平著、安岡正篤 人間学、講談社+α文庫を紹介します。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=256663X

アマゾンでは中古書が7円からありました。安岡正篤氏を知っている医療人は少ないかと思います。どれだけ影響力のある方であったかは、Wikipediaをみるだけでもわかりますので、興味のある方は見てください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4

安岡正篤氏の書籍はやや難しいのですが、この書籍はエッセンスについてわかりやすく解説されていますので、読みやすいと感じます。読むは易く行うは難しですが…。私自身、まったく出来ていませんが、読んでいて気になったところを数か所、紹介します。実践できるように頑張ります。

人間学のニ条件(p22)より。

安岡正篤は学問を二つに分けている。一つは「知識の学問」、もう一つは「知慧の学問」である。機械的知識をいう「知識の学問」に対して、「知慧の学問」は経験を積み、思索反省を重ね、人徳を練る中から湧き出てきたもので、体験の中からにじみ出てきたもっと直観的な、人格的な学問のことを言う。

リハ栄養やサルコペニアは、もちろん「知識の学問」です。「知識の学問」も重要なことは言うまでもありませんが、それだけでは薄っぺらかもしれません。私もですが…。人間である以上、迷いや心配事、窮することは避けられませんが、「知慧の学問」を深く学べば、精神的にまいってしまうことはないそうです。

一隅を照らす(p150)より。

好転させていくには、それぞれの持ち分において、「一隅を照らす」努力を重ねていく以外にない。「言葉」だけではなく「行為」だ。それぞれの一燈が一隅を照らし、それが万燈となり、あまねく世の中を照らすようになる。生前、安岡正篤が率いた全国師友協会が「一燈照隅、万燈照国」というスローガンを掲げたのもそういう理由からである。

一燈照隅、万燈照国は、私も大好きな言葉です。一人は一燈であり隅を照らす以上のことは難しいですが(隅を照らすことも難しいですが…)、燈がたくさん集まることで国を照らすことができます。私はリハ栄養の一燈として隅を照らしていけるように頑張りますが、たくさんのリハ栄養の燈が集まれば嬉しいですね。

名を成す(p182より)

人間というものは、たとえいかなる地位、境遇にあろうとも、四十五十になってその人となりに人間ができてくると、必ずそのおるところ、おる範囲において、人の目につくものである。評判になるものである。だからその年になって存在がわからないような人間は、畏敬するに足らない。

「四十になったら自分の顔に責任を持て」という言葉もあります。その人のいる範囲で知られる存在になることは目的ではなく結果ですが、結果がその人の実力を物語っているのかもしれません。40代になってから頑張るのではなく、20代、30代の過ごし方がその人の40代を決めるのでしょう。

最後に、「有名無力、無名有力」(p52)という言葉があります。40代で無名無力ではいけませんが、有名有力というわけにはなかなかいかないようです。

君たちは決して有名になろうとしてはいけない。有名は多く無力になる。そうではなく、無名にして有力な人になることを考えなければなけない。本当に有力な人になろうと思ったら、なるべく無名でおることを考えなければならない。

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