2011年3月20日日曜日

瀬田先生からの報告その3

瀬田先生からの被災地報告その3(慈恵向けの報告ですのでそのような内容になっています)を転載させていただきます。以下、転載です。

私は、予定が変更となり、石巻、気仙沼等から搬送される患者で、リハ科でも対応可能な患者を東北大学で受け
入れるため、石巻行きは、他の医師に任せ、私は仙台に留まることにしました。

昨夜、内科佐藤病院の佐藤先生から連絡がありました。慈恵宮城県支部からの要請により、各地の慈恵OBOGから支援の意思が表明されました。しかし、いまだ仙台も含め、食糧・燃料が緊急車両でさえ確保が難しい状況で、人員を派遣いただく場合、「自給自足の自立した部隊で」というのが条件となってしまいます。

仙台まで医療材料を運び込むまでなら、緊急車両の登録をし、往復の燃料を関東で確保すれば可能と思われるので、医療材料を仙台まで運んできてもらうことを、積極的に要請することになりました。仙台に到着後は、さらなる物品の搬送を宮城県や東北大学に任せるのが一般的と思われますが、私が把握する限り、宮城県は不足のSOSを宮城県まで届けられているところのみしか把握できておらず、東北大学は、十分な医療材料を確保できましたが、その余力を石巻にしか援助できていないと思われます。

仙台市若林区海側、名取、岩沼、亘理、山元などは、拠点となる総合病院がなく、小~中規模病院は津波の被害にあっているか、動けていても、今いる入院患者の保護と細々とした外来ができる程度です。山元町にある国立病院機構宮城病院と連絡が取れず、県も大学も把握できていなかったため、数日前に私が、直接宮城病院まで車を運転して出向きましたが、まさに、今いる入院患者の保護と細々とした外来ができる程度でした。

そのため、運んできていただいた医療材料は、一旦内科佐藤病院に搬入保管し、仙台市若林区海側、名取、岩沼、亘理、山元や、塩釜、多賀城その他で活躍する慈恵OBOGの病院・診療所で医療材料が不足しているところ、その他の病院・診療所で医療材料が不足することろに、仙台でガソリンが確保でき次第、さらなる搬送をする方針としました。

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